学長メッセージ

建学の精神

「知恵のみちを歩み 人と世界に奉仕する」人となるために

学長 片岡 瑠美子
令和の時代が始まり、長崎純心大学も開学25周年を迎え、新たな一歩を踏み出しました。

三ツ山の緑の園は わが純心 恵あふれて ここに集うわれら幸い
 春来れば 山は静か大気流れて 花々の交わすほほえみ み母マリア祝しませ

「純心賛歌」の一節です。「令和」がもつ「潔淑(きよ)く風和らぐ」の意味と通じるものを感じます。

長崎純心大学が三ツ山(帆場岳)の「緑の園」にある理由は、長崎に原爆が投下されたことと深く関係しています。1945年8月9日、純心女子学園の疎開地であったこの場所では、非番のシスターたち10名ほどが松脂採取の作業をしていました。爆風が三ツ山まで達し、異変を察したシスターたちは文教町の学校に走り帰り、鉄扉の下敷きになっていた江角校長はじめ工場で被爆した学徒動員の生徒たちを探し、救出するために奔走しました。学園は、殉難学徒のために再興されました。1950年には純心女子短期大学が文教町の焼け跡に創立され、1970年には亡くなった生徒たちに代わって両親のお世話をしたいと、恵の丘長崎原爆ホームが開設されました。そして、5年後の1975年に、原爆ホームの向かいの丘に短期大学が移転いたしました。被爆体験をもつ学府として、被爆者の声を聴き、被爆の実相を学び継承し、平和への道を探求する使命を与えられたのです。

さらに、1994年純心女子短期大学は、「知恵のみちを歩み 人と世界に奉仕する」ことをモットーとする4年制大学に改組されました。理想として掲げたのは、ローマに始まり、16世紀末には長崎にも開かれたイエズス会の高等教育機関「コレジオ」のキリスト教的ヒューマニズムに基づく学問と、「ミゼリコルディアの兄弟会」のカトリック福祉の精神です。

それから25年、本学は1学部3学科体制に再編され、全学科が男女共学となりました。日本の社会は少子高齢化、都市への人口集中化が進み、特に長崎県では若い世代の人口流出に歯止めがかからず、高齢社会が急速に進行しています。国籍を超えた働きが求められる時代です。深い専門知識と技術、資格を持って地域に貢献し、長崎を起点として世界に羽ばたき、人と世界に奉仕すること、それは男女を問わず求められています。

激動する世界にあって、大学も進化しつつ、同時に普遍の真理を探究し、知恵のみちを歩み、世界に羽ばたく夢をもつ皆さんを長崎純心大学は待っています。

学長 片岡 瑠美子